連載7 詩のよりみち(続) 「鋏」と「創」のおはなし
前回の冒頭にも書いたのだけど、韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」にかなりはまっている。主人公が大好きなキンパ(のり巻)があまりに美味しそうで、自分で作っちゃったほど。毎回、子ども解放だったり、女性の労働権だったり、テーマはそれぞれの法廷が登場する。裁判長に女性が多いのにはびっくり。そしてもちろん勝ち負けがつくのだけど、敗訴した弁護士が「得たものが大きい」といって勝った側のウ弁護士を打ち上げに誘う。そこで詩が朗読される(韓国人は本当に詩が好き。表現する民族だ。演技も歌も脚本もうまいったら。)いっぽう、自閉症で挙動は変わってて見た目キュートなウ弁護士は一つ一つのことに、自分はこれでいいのかなと揺らぐ。そこに共感する。
さて本題です。
私は学生時代に韓国語をかじっていた。日本語と同じ語順、文法なのでとっつきやすい。違うのは母音が多くて発音が難しいこと。韓国が1987年まで恐怖の独裁政権だったことは、もう知らない人もいるのではないだろうか。民主化は闘ってたたかって、かちとられたものだ。そこに至るには、1980年光州での市民虐殺もあったし、壮絶な道のりがあった。民主化間近の(とはそのとき知らなかったが)1986年、ある事件が伝えられたとき、この詩を書いた。
雑誌『詩と思想』は今もあるが、詩人の高良留美子さんが編集長だった時代。「載せましょう」と言ってくださった(『詩と思想』vol.38 1987年8月 より)。
見えない鋏(はさみ)
見えない鋏を 研ぎつづける女たちがいる
前世紀から ひそやかに
ドイツ製 フランス製 アメリカ製 日本製
といろいろあるけれど
今日は韓国製の鋏のお話を
1986年6月に捕われた
21歳のクォン・インスクさん
もと名門の女子大生 それから女工になった
東洋の一国にいまや続々現われる
あまたのシモーヌ・ヴェイユのひとり
偽装就業といって捕われ 連夜の取り調べ
取り調べという名の 強姦は文字通り
おお 70年のむかし
三・一独立運動に列した女学生らの誇りに
日本官憲のなした報復よ その拷問の伝統よ
インスクさんは獄中から事実を訴えた
父母は泣く 娘は気が狂ったと
父よ母よ ちがうのです
インスクさんの赤く染められた鋏は
無数の女たちの鋏に反射して
いま静謐の闇を破り 響こうとしている
たちきるという行為のあとには
糸の切り口がせつなく滲みる
けれど世界中のあちこちで
ぱちぱちと ぱちぱちと
見えない鋏を使う音がする
今宵ソウルの刑務所で
ぱちぱちと ぱちぱちと
インスクさんの髪にはじける
白い鳳仙花
***
このころ。1980年代は、日本でセクシュアルハラスメントという言葉が生まれてまもなかった。「働くことと性差別を考える三多摩の会」が1万人アンケートを行っていて、私も紙を手に入れて回答し、郵送した。職場で触られたり、酔って連れ込まれたりすることは、声をあげていいことなんだ。新鮮だった。 今では法律もできたけど、伊藤詩織さんの事件をみても事態はそう変わっていない。でも、「私はかけがえのない1人」という鋏の音は格段に大きくなっている。それは確かなことだ。
1986年。コン・インスクさん事件のとき、この詩を書いたのは、名門の女子大生だった「コン嬢」を女神のように崇める言説が韓国のメディアで、とくに男の活動家のあいだで盛んだったから。女は聖女と悪女しかなくて、告発した彼女は勇気ある聖女、犠牲者みたいに扱われていた。それはおかしい、と思って。 鋏は響き合っているんだよ、と思って。でもそれまで当り前だったことを断ち切ったら、いつも切り口がしみるでしょう。いつの、どんな場合にも。
そうしてできた「きず」はどうなっていくのか。そのことが書いてあるのが高良留美子さんのこの作品であるように、私には思われる。とても今日的な。普遍的な。
きず
高良留美子
「創造の創が『きず』だということは意外に知られていないようです。
創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、
なんらかの傷を負っているのではないか」
とひとりの詩人が書いているのを読んだとき
わたしはふいに 自分の心がきずだらけなのを感じて 本をとじた
きずはからだじゅうで口をあけ血を流していた
それが何のきずなのか いつ受けたものなのか
さだかにはわからないまま・・・
わたしもまた自らの手できずを癒そうとしてきた一人だ
きずを癒そうとして 詩をつくった
かたくなでごつごつした詩をつくった
しかしきずは癒されたのか
きずに手をつっこんで かきまわす
拡大鏡を入れて 拡大する
薬のつもりで 毒を注ぎこむ
わたしがしてきたのは そんなことだ
二度目にその言葉を読んだとき
わたしは自分の皮膚が
とげのように盛り上がっているのを感じた
わたしのからだは 針ねずみのように
すきまなく固い皮膚によって蔽われていた
このとげが わたしのきずなのか
きずの癒された姿なのか
わたしの心の 柔らかい肉は
どこへいったのか・・・
きずはついに癒されなかった
と考えるほかはない
ただ創ることを通して
きずはわたしを変容させたのだ
名づけようもない姿に
(高良留美子『風の夜』より)
高良留美子さん(1932-2021)は子ども時代から、国際舞台で活躍する母(高良とみ氏)から見捨てられてきたのではないかという葛藤を抱え、書くことでそれをのりこえようとしてきた面があったという。きずは創ることにつながる、人を変容させるというこの詩が私は好きだ。
石内都さんは文章もすばらしいのです
そしてさらにいうと、写真家・石内都さんの『キズアト』という写真集も大好き。これは人のからだのきずばかりを被写体にして撮影しているシリーズなのだ。きずたちが何ともいとおしい。人間のからだってあたたかいな、と思うのだ。
どんどん脱線していくので、よりみちはここでおしまい。盛り上がったとげとげを撫でながら、変容しながら、生きていけたら。と思ったのですが、もうひとつだけ。
私が高良留美子さんにお世話になったと思うわけは、です。このあと私は88年に出産をし、赤ん坊を抱えて「家出のしたく」なぞという詩ばかり書いていた。最小限の荷物は何をもって出るか、とか。悶々として書いた詩たちを高良さんに送った。お返事は手紙でくださったと思う。
「書く言葉と人間の高さとは、等身大に合っていなければなりません。そして表現は、ひとつ越えたところでなされるとよいかと」
私は恥ずかしくなり、トウシンダイのことばを背骨にしまっておいた。しごと以前の、姿勢について。20代は一日一日をやり過ごすのがしごとだった。でも、そうやって自分に付き合ってくれ、声をかけてくれた先達がいたことは忘れ得ぬこと。
まさか30余年たってこの世の方ではなくなられたときに、その膨大なしごとに再会するとは思わなかったです。精進して参りましょう。楽しみつつ。
(つづく)
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