連載1 自助グループとの出会い

5年たち、やっとスタート地点に立つ。利用者や先輩・同僚に助けられて、しごとの土壌を耕し始めたころのお話です。
小園弥生 2022.10.13
誰でも

すっとこどっこい。しごとのできない30代新人・私の失敗は数知れず。講座を企画して、一人も申込みがなかったことも。流行りに乗ろうとしてコンセプトがあいまいな企画。そこに来ても何が得られるのかわからない企画。やる側がぼやけていて、客が来るわけがない。そのときは依頼した講師が病気になり、助かった。またあるときは、お客さんが定刻に集まっているのに講師が来なかった。メールのない1990年代前半。電話で前日に打ち合わせていたが、日時と謝金を書いた依頼状をきちんと出してなかったため、相手は来週と思っていた。事務を侮るな。このときはテレフォンカードを配って施設長の上司がひらに謝り、延期。これらは書ける程度のことであって。

しかし、人は現場で学んでいくもの。たとえば、大きなイベントの司会が抜群にうまい先輩がいて、すぐ横で聞きながら、なるほど、こう言えばよいのかと次に口上を真似してみたらうまくいった。職人がお手本を見て盗むのはだいじなこと。小さな成功体験になる。石垣を積むように体験を積む。ここで重要なのは自分が無力で困っているということの自覚である。自覚がないと手がつけられない。何にどう困っているのかひもとくことで手が打てる。困りごとを考えるにも時間とタイミングは要る。でもね、人生の課題は自由にやればよいが、しごととなるとそうもいかない。

身を削っていたと思っていたが、じつは私より周りの人々だったかも。。。次はこの頃、書いたものです。

   けずる

 かつぶしをけずる だしをとるために 
 えんぴつをけずる ものをかくために 
 ほねみをけずる やくにたつために 
 しのぎをけずる たべていくために

 けずったぶんだけ いのちはだしがでる 
 いのちをあじわって 
 きょうもいちにちがすぎていったよ 
 みずいろのかぜのように

風のように5年がたち、空気の薄い(しかし人々は濃ゆい)ランドマークタワー13階の職場「フォーラムよこはま」から、前庭に芝生のある「横浜女性フォーラム」に異動した。この建物はもともと横浜市が1980年代に数種の市民ニーズ調査を行い、事業コンセプトを作ってからそれが展開しやすいようにバブル期に設計・建設され、1988年に開館した贅沢なハコだ。広い空間を見通せるように(死角にならない安全面もある)ライブラリの書架は低くなっており、大理石の階段の勾配は人体にやさしく上りやすい。施設の周囲はぐるっと一本一本ちがう植木や花、実のなるびわの木に囲まれている。当時の植栽地図をみると、前庭の一部には「実験菜園」と書かれていた。ただし、土地は元沼地だった。台風がくるとスタッフ総出で合羽を着て土嚢を積むのだが、これもけっこう楽しかった。

旅先で子どもが撮ったと思われます。。。ワタシハダレ? ドコヘイク?

旅先で子どもが撮ったと思われます。。。ワタシハダレ? ドコヘイク?


NPO法ができた1998年、私は市民活動支援事業担当で、「自助グループ」という文化と人々に出会った。砂漠のなかに掘られた泉を地下水脈でつなげていくようなしごとだった。ここから、泉の水をくむ恩恵にあずかると同時に、自分の砂漠を探険することになる。

「自分たちが自分たちの問題を人からつけられた言葉でなく、自分たちがどのように名付け、考えるかをグループでやっていく。ということは、自分と自分の抱える問題の関係について新しい見かた、考え方をもつことになる。それは“解き放ち”、つまり人間解放を意味する視点をもつことなのです」(トマシーナ・ボークマン)

NABA(摂食障害の自助グループ)の鶴田ももえさんとは、初めて自助グループセミナーを企画したこの年からの長い付き合いになった。出会ったころ、電話して「元気ですか?」とあいさつのように言うと「元気なはずないでしょっ」と返された。元気と健康が強要される社会の回し者と思われたのかも。あいさつは今では相手が誰でも「体調はどうですか?」に変化した。社会が人を病気にすることが前提になったのかもしれない。社会じたいが不調?

自助グループは相談室の先輩たちが「市民によるもう一つの相談室」と名付け、10年かけて大事に伴走してきていた。1988年の開館時から毎年、「アディクションセミナーin yokohama」というだれでも来られる全館イベントを、依存症の自助グループが集まった市民実行委員会と共催していた。日本で依存症のグループが始まったのは1970年代というから、かなり早かったと思う。大の男が舞台でオープンスピーカーとして自分の弱さやくせ、病気について淡々と語るのを聞いた。薬物依存の黒づくめなお兄さんたちは迫力があったし、アルコール依存のおじさんが「メロンパンです!」などとアノニマス(匿名)ネームを名乗るのはラブリーだった。実行委員の一人でソーシャルワーカーの村田由夫さんは『よくしようとするのはやめたほうがよい』の中で「依存症は生きるのに必要」と書いており、その意味は界隈にまだ少なかった女性たちが体現していた。症状があるからグループに集い、人々に出会える。症状が出なくなってからが根っこの問題にぶち当たってもっと大変だ、という語りを聞いたのは後年だったが。

地下水脈からあふれる泉の水を浴びるうちに、自助グループは人が生きるために必要な社会資源だと腑に落ちた。もっと知ってもらおうとグループ一覧のリーフレットを作って手刷りしたり、グループの人々が語る連続の公開セミナーや海外のセルフヘルプ研究者を呼んだ講演会などを毎年行い、必ず記録冊子を作った。編集が好きでたびたび冊子を作っていたので、先輩や同僚から何か書くしごとのときは「これ読んでみて」「手伝って」と頼られるようになった。英語は達者なのに日本語が不得意な人もいるらしい。英語が必要な時は助けてもらった。全国のセルフヘルプ情報センターの集まりにも出かけたし、イスラエルでのセルフヘルプ専門家国際会議(1999年)に出張するT先輩を見送ったことも。Tさんはいつも私が悩んでいたときにいつのまにかそばにいて、話を聞いてくれた人。

2000年頃、神奈川県社会福祉協議会でセルフヘルプ相談室をつくる計画がもちあがり、検討委員になった会議で研究者の久保紘章先生(故人)にもお会いし、担当者の佐藤さん(故人)、奥田祥子さん(再会したい!)に出会った。久保先生の『セルフヘルプ・グループ~当事者へのまなざし』(相川書房、2004年)には、日本では戦後にグループの実質的な活動が始まり、「日本患者同盟(結核、1948年)と全国ハンセン氏病患者協議会(1951年)が患者自身による自主的な組織として設立された初期のグループである。患者の置かれた劣悪な状況に対して医療・生活保障などの要求運動、社会的なスティグマを負った人たちへの偏見の除去などのソーシャル・アクションが中心課題だった」とある。

このしごとには5年間入れ込んだが、一人で独占したら広がらないと考え、次の人にバトンを渡した。そのころ、まとめて書いたものが以下である。

『女性施設ジャーナル7』(学陽書房、2002年)より抜粋

「生きる力をなかまの中で取り戻す 自助グループ支援事業」

あなたはひとりではないあなたはあなたのままでいいあなたには力がある 

自助(セルフヘルプ)グループとは何か。社会の中で生きづらさを抱える人々が共通する困難を軸として自発的意識的に出会い、体験や気持ち、情報をわかちあうグループのことだ。アメリカでは「人の悩みの数ほどグループがある」というが、日本でもグループは増え、急速に関心が高まっている。

自助グループの基本であるわかちあいミーティング以外に、たとえば情報提供、当事者による相談活動、広報活動、調査研究、提言活動など、活動を広げていくグループもある。広く社会に発信することを使命として法人格を取得するグループと、あくまでも集まったメンバーの無名性・匿名性(アノニマス)を重んじるグループを両極と考えると、その中間には多数のグループが存在する。

アノニマスのグループは、1935年にアメリカで発祥したAA(アルコール依存からの回復をめざすグループ)に端を発している。ミーティングでは参加者は呼んでほしい名前=アノニマスネームを自分で決める。どこに住んで何の仕事でといったことは尋ねない。基本はその場限り。「言いっぱなし、聞きっぱなし」などのルールを確認し(語らなくても、聞いているだけでもよい)、わかちあいを行い、場が終われば聞いたことはその場に置いて別れていく。依存症をテーマとするグループにはこのスタイルを受け継いでいるものが多い。

匿名を重んじる理由は、①参加する個人のプライバシーと安全が守れる、②社会的な役割や属性から解放された個人として参加する、③運営上、特定の人が権力や利益を得ることを防ぐ、④グループが新たなパワーゲーム(競争)の場となることを防ぐ、など。これには、依存症が社会によって個人に課せられた役割期待に過剰に応えようとして陥ってしまうものだという認識がある。メンバーは対等で、活動のための会計や場所取りなどの役割も交代できるようにされている。

1988年の横浜女性フォーラム開館当初からここでは自助グループを生きる力をなかまの中で取り戻していく社会資源と考え、さまざまなグループにミーティングの場を提供してきた。身体やこころをテーマとする講座事業の後には、グループが立ち上がるのを職員がサポートしてきた。10余年のあいだに多くのグループがここで生まれ、根を張り、あるいは休んだり消えたりしながらも、全体として豊かな枝葉をもつ大木のようなグループ群としていま存在している。グループのテーマをあげてみたい。

子育てのストレス/母乳育児/密室育児/一人っ子/シングルマザー/離婚/国際結婚の女性/ひきこもりの子をもつ親/摂食障害/摂食障害の子をもつ親/アルコール依存症/子ども時代の家庭機能不全(AC)/AC本人で子育てする女性/夫・恋人からの暴力/子ども時代の性的虐待/乳がん/子宮筋腫/子宮内膜症/不妊/女性ゆえの生きづらさ/など

あるグループのメンバーは語る。

「横浜女性フォーラムでは、女性たちが困ったとき悩んだとき、参加できるグループがこんなにある。そしてこれからも小さなグループがたくさん生まれて、みんなの力になっていくのかも……。それが希望のように感じられます。」

支援事業を展開するにあたり事業実施要領を整え、毎年行う公募・選考のシステムを確立。広報や啓発セミナーも行い、態勢を強化してきた。支援内容は、定期的な場の提供(無料)、情報と学びあいの場の提供、広報、保育等である。毎年の支援グループ数は約20、ミーティングへの年間参加者数はのべ2000人。メンバーは対等で、固定的でなく、新しい参加者をいつでも受け入れるものとしている。

女性センターで活動することの利点をグループの参加者は次のようにあげている。

安心して来られる、開かれた施設(社会的信用)/快適で安全なスペースで、保育もついている/問題解決に必要な情報がライブラリにそろっている/参加者に個人相談が必要な時は相談室を利用できる/

情報、相談、保育といった女性センターの総合機能が活用されているといえる。

支援の仕組みづくりの次に重要なことは、支援内容や方法をニーズに合わせてどんどん発展させていくことだ。現在私たちが力を入れているのは次の3点である。

①    グループの公益性を伝え、活動を支えていく必要と方法を考える啓発活動

「自助グループ応援セミナー」「セルフヘルプ理解セミナー」や交流ひろば、アメリカの情報支援センターの経験に学ぶセミナー(通訳付き)、など。記録冊子の作成。講座事業は職員にとって学びの機会であり、役割や考えが整理され、次の課題が見えてくる。

②    グループ同士の学びあい(相互支援)の促進

コアメンバー同士が励ましあい、お互いのグループのよさや知恵、安全な場を作るためのルールを学びあう「水やりの会」を定期的に開いている。日頃の自助ミーティングには入れない職員も、ここには事務局役割として参加する。暴力被害のグループへのニーズも高まる中で、何かあればいつでも相談してもらえる信頼関係が不可欠だ。

③    グループを作りたいと思っている人への立ち上げ支援

作りたい本人にどんなグループなのか文字化してもらい、ラウンジに掲示したり、関連の講座で配布したり。虐待などテーマによって本人が連絡先を引き受けられないときには仮の連絡先、仲介役を引き受ける。

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引用ここまで。この原稿の続きには、予算もかからないし、あちこちのセンターで自助グループ支援事業は大きな社会資源の開発になるのでおすすめ、と書いた。その後ヒアリングに熱心にやってきたのは、みな非常勤の単年度雇用の方で、実際にやり始めたという話は聞かなかった。このしごとに限らず、人にじっくりかかわり熟成されていく場づくりのしごとができにくくなっているのは、構造的に雇用の細切れが進んだ労働問題の面も大きいと思う。お金はかからなくても、これらは対人支援のソーシャルワークであり、コミュニティを耕すことであり、それには安定したマンパワーと長いスパンの時間が要るのだ。

2002年当時、支援グループ数は20、参加者が1年にのべ約2000人であったのが20年たち、いま横浜市男女共同参画センターではコロナ禍以前の2019年には、3館で45グループ、のべ約6000人が利用していた。テーマも、かつては主催講座で女性の身体やこころ、暴力に関連するものを連続で開催しており、事後にはグループができることを側面支援していたこともあって、先に見るように女性特有の悩みを軸としているものが多かった。現在は男女二項では語れず、テーマは多岐にわたり、男性の参加者も増えている。が、女性やマイノリティが安全に集まれる場はまだまだ足りない。

「大木のようなグループ群」と書いていたが、セルフヘルプ・コミュニティが醸成されていくのはみんなの資源になる。公共施設ならもちろん、そうでなくても小さなスペースでも、理解者がいれば場を提供することはできる。グループが使える場が広がってほしい。

私自身がこの後、自助グループにいろんな意味で助けられていくのだが、そのことはまた次々回で。(つづく)

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