#18 言葉をめぐる、シスターフッド
このレター# 6でも書いたが、昨年から「高良留美子資料室」を手伝っている。詩人・高良留美子さん(1932-2021)の残した膨大な本の整理を1年前に始めたときには、まさか資料室ができるとは思わなかったけど、やってみるものだ。そして先日、「高良留美子の詩を読み、歌う『場所』」という会が開かれた。女性詩人の詩を歌ってきた吉岡しげ美さんの発案、ピアノ弾き語りで、自由が丘のマンションの一室にある「資料室」に10余名が集まって。そこで、私は斎藤真理子さん(韓国文学翻訳者)と、30年ぶりに再会した。
1993年の暮れから正月にかけて、子ども連れの所在ない休暇を、当時彼女の住む沖縄本島の家で過ごさせてもらった。あのとき年末年始の飛行機は高くて、母子で10万円もした。市場に出かけて、沖縄式のお重をつくった。庭にバナナの木があった。女3人と子ども2人で、レンタカーでコザから北のほうまで走った。
その後不義理をしていて、『82年生まれ、キム・ジヨン』日本語版のヒットで訳者として名前を見た。2年くらいたち、友人に仕事を頼むのは気が引けたが、エイヤっと依頼して、講演と韓国文学の本の選書をしてもらったのは2021年。講演は定員100人がまたたくまに一杯になり、なんてありがたかったか。けれど、コロナ禍で講演も打ち合わせもオンライン。その後も次から次へと忙しそうで、メールばかりして会えずにいた。
初めて斎藤さんに出会ったのは40年近く前。当時詩を書きたくて頼りにしていた先達の高良さんが「斎藤さんに会ってみたら。あなたと同じ世代だから」と言われたのだったと思い出した。そのときも中央線沿線に住んでいた彼女のアパートに泊まって、夜通し話した。その晩のことはいまも覚えている。斎藤さんは世界中の詩を読んでいた。高良さんには文学運動誌『新日本文学』でお世話になり、80年代まだ独裁政権だった韓国の詩を初めて翻訳する機会をもらったとのことだった。
時代は回る、回る。「高良留美子の詩を読み、歌う『場所』」の会の後、長屋のような「自由が丘デパート」の2階で乾杯した。この日高良さんの詩を朗読してくれた、詩人の佐川亜紀さんもいっしょだった。佐川さんは韓国の文学や民衆運動とずっとかかわって書いてこられた方。これも高良さんの采配かしら。
「日本もこんな低迷してきて、これからまた詩が読まれる時代になるんじゃないかな」と斎藤さんが言った。そこまで生きて、すったもんだしていたい。
(斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(2022、イーストプレス)は本読みには貴重な指南書であり歴史の詰まった読み物。ほかにエッセイも色々書いているがウェブで読める『編み狂う』の世界には、はまる。さまざまなものを編んできたし、いまも編集しているのにちがいない)
『場所』の会の後半では集まった一人ひとりが語り、その共通項は「高良留美子さんに励まされた」ということだった。年齢に関係なく。上からでなく。対等な人として、励まされた記憶。あなたも、ですか。ふしぎな熱量の中心に、白い額縁の中の高良さんが居た。
溺れそうな人がいると命綱を投げた。叙情的なぬかるみを嫌い、叙事詩を、記録することに価値を置いた。編集長という名の事務しごとをこつこつとされ、人々の中で葛藤しながら世界を創っていくことをあきらめなかった。「創ることを通して、きずはわたしを変容させたのだ」と書いた。
「ふぇみん」2023.1.15
シスターフッドという言葉を久しぶりに思い出した。女同士でも、それ以外でも、対等な平場の関係をつくることはいまだに、相・当・に・難しい。実績が積み上がるとリーダーの力がその人の意識するしないにかかわらず相対的に大きくなり、小さな声はかき消えるのが常だ。そうなると、(田中美津のように)リーダーが旅に出て場を離れるか、いつしか人々が場を離れるしかないのかもしれない。現実はいつもヒリヒリする。私も、もっと違う言葉をかけたり、別のふるまいをできなかったのかと思い、夢にでることがある。
高良さんは「言葉は歴史的にみんなでつくってきたものなのに、人を欺く目的で使われることもある。言葉を人々の元に戻すことが書く者の役目だ」と1989年のラジオで話している(原稿も音声も本人が残しているのだ)。今日ではSNSなどで、人を攻撃するために言葉が使われることがある。いっぽうで、言葉で、あるいは振る舞いで、人を励ますことができる。そう思うのは、それを受け取った経験があるからなのかもしれない。
正しさの高みからではなく、自らの態度を見通して、言葉をすくい、言葉を人々へ戻す。それは例えば、こんな詩からも伝わってくる。
赤鉛筆
高良留美子
お手洗の扉をあけると
かたかたと音がして
一本の赤鉛筆が落ちてくる----
そんな不気味な怪談が
山のお寺に残っていました
お寺には 集団疎開の生徒たちがきていたのです
あるとき誰かの赤鉛筆がなくなりました
そのころ 赤鉛筆は貴重品です
一人の女の子が疑いをかけられました
その子はやがて病気になり
とうとう亡くなってしまいました
その子を一番いじめた男の子が
お手洗にはいろうとして 扉をあけると
一本の赤鉛筆が 落ちてきたのです
かたかたと 音をたてて
山のお寺の住職さんが 戦後まもなく
わたしたちにその話をしてくれました
私もその子をいじめた一人です
だからいまも お手洗の扉をあけると
一本の赤鉛筆が 落ちてくるのです
かたかたと 音がして
(詩集『仮面の声』1987年、土曜美術社)
竹内美穂子『Thinking in the shade of a tree』2022 /『高良留美子全詩』(上下巻 2022 土曜美術社)の表紙絵となっている
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