#17 社会調査2015~The personal is political
40代終盤から老眼が進んだ。遠くは見えるが、文字がかすむ。ずっと視力は1.5だったのでストレス。これがまたぐぐっと進行したのはウェブ調査のしごとをした年だった。労災ともいえる。
毎朝出勤してアンケートフォームにパスワードを入れて開くと、何件かの回答が入っていた。ありがたやー。しかし。こまかーく書き込まれた自由記述に、目と心がやられる。
「将来は生活保護しかないと思う。孤独死か。安楽死施設を開設してほしい」「病気になっても休職できない。家族と自分のどっちが倒れても共倒れ」「母の年金収入がなくなったらアウト」「独身、子なしだと非国民と思われる」「救急搬送されたとき、付き添いがないので受け入れを断る病院が多かった」「引っ越すにも賃貸の保証人や収入審査がきびしい」
うううっ。
報告書は概要版と全体版があり、すべてウェブで読めます。
「いま振り返っても、すごい熱量のしごとだった」と発案者の植野ルナさんいわく。2015年に行った「非正規職シングル女性の社会的支援に向けたニーズ調査」。目的は、まだ名前のついてない女性の困難を可視化し、1980年代から横浜市で私たちの協会(現在は男女共同参画センター3館)が行ってきた女性の就業支援事業の対象層を広げることだった。かつては子育てが一段落した年代の主婦層、2000年代からはひとり親やDV被害女性、2010年代には若年無業女性を対象層としてきた。「女性の見えない貧困」が2008年ごろにいわれ、数年たった頃。氷河期世代から上の単身女性が増え続けているのに、なんの支援もなく放置されているのでは? そこに焦点を当てるべきと考えたのだ。
それには、その人たちが不十分で努力不足だからではない、社会構造からくる、みんなの問題なんだということを立証しなければならない。社会変革は社会調査から始まる。(貧困を社会構造からなる問題として発見した19世紀末の社会調査から社会福祉は始まった。このことについては連載#14の末尾に書いたのでぜひ♥️)
さて、この調査はどうやって成り立ったのか。これからしごとをしようとする人々にむけて、1つの事例として記録しておきたい。箇条書きで失礼します。
・就職氷河期世代(1975年生まれ。当時40歳)の職員が自分ごとから出発して、公的支援が届いていない、届けるべき層を再定義しようと考えた。ところに少し(だいぶ?)お姉さんの職員らが加わってチームを形成した。
・企画書を書くと、決定権のある上司は「このことを明らかにしても、私たちにできることはそうないのでは?」と言った。これはある意味、当たってもいた。とくに、ゆがんだ社会構造を変えていくことは、一介の市民利用施設だけではできない。しかし、賛成しなくても「どうぞやったら」といって反対しなかったのは上司のえらいところだったと私は思う。
・そして私たちは乏しい予算(30万円余)でスタートすることになった。調査会社に依頼せず(データと報告文の整理は一部依頼したが)、設問もすべて自前で考え、レンタルのウェブアンケートシステムに若手職員が入力してくれた。
・まず、調査名に頭を悩ませた。調査に限らず、だれもやってないことに取り組むとき、名前は最も重要だ。なにが目的なのか。どう付けたら対象者に届くのか。この場合、ただ「非正規」と言ってしまっては、まるで正式の人間じゃないみたいでは? と話し合って「非正規職」と言うことにした。人ではなく、職のこと、となる。「人ではなく問題に焦点を」が重要で。
・日本中の問題を可視化するのに横浜だけでは弱いと考え、大阪の団体と福岡の大学の先生にも協働を呼び掛けた。この調整にはひと手間もふた手間もかけた結果、広がりができた。
・問題は対象者、回答者にどうアンケートを知ってもらうのか。これが最大の難関だった。調査会社だったら、対象者を何らかの方法で抽出し、予算により回答者にギフトなど用意してアンケートを送るだろう。そうはいかない。ちまちまと伝えるのはえらいことで。いっそこの広報活動じたいをこの問題があるよという社会へのキャンペーンと位置付けることにした。
・もちろん、マスメディアにも依頼した。最終日に朝日の家庭欄に載った小さな告知記事の威力は大きかった。しかし、新聞をとっている人は限られる。それに、なんといってもウェブアンケートなのだ。ウェブで拡散されないと。そのため、SNSで毎日毎日毎日毎日、いただいた回答など生の声をほんの少し加工して発信し続けた。ツイッターも開設したが、このときは字数制限がないFB(フェイスブック)アカウントを新たに開設して使った。
SNSのアイコンにした「研究の虫」はミノムシ。ナガノハルさん作。
.遊びごころでロゴ「研究の虫」も作った。・FBは支援者やメディアに知らせるには有効だった。でも、回答数を増やすのに最後に威力を発揮したのは、鈴木晶子検討委員が記事を書いて配信してくれた「サイゾーウーマン」というサイトだった。天の恵み。記事には私が「スタッフ日記」というブログにアンケート結果の中間まとめを載せた記事も引用してくれた。パスがつながっていく。
・鈴木さんは社会派の「ハフポスト」にも投稿してくれたが、「当事者が見るサイトが強いから」とサイゾーに。これがツイッターで拡散され、最終日ひと晩でぐっと数が増えた。261件の声を集めるのは本当にたいへんだった。世の中にまだ名前がついていない問題だったから。調査会社を使っても集まらなかったかもしれない。
さらに数の少なさを補う意味でも、グループインタビューを各地で行い、ナマの困難を深掘りすることにした。ここからがまた骨が折れたけど、実際の声をきくことは楽しかった。当時ほかのルーティンの仕事が山ほどあるなかで、どうやっていたのだろう。時間に追われて報告書を書くのがまた難問だったが、夢中でやっていたので思い出せない。
報告書に実態としてまとめた要点は「6割の人が不本意に非正規職」で、「とくに当時30代前半の人では初職が非正規だった人が7割超え」「回答者の3割が年収150万未満で、年齢が上がるほど低収入」「派遣の場合1-3か月が契約期間で、親の介護や自分の通院で少し休んだら雇止めにあうことが多い」「家族の介護等ケアに女だからとまず当てられ、結婚しないの?という視線にさらされる」等。
当事者も支援者・研究者も入り混じった報告会の熱気。その準備にあちこち走って依頼をし、調整し、奔走したこと。
この調査の結果と意味についてはメディア各紙にも連日大きな記事で掲載されたし、さまざまな研究者やライターさんが書き物で紹介してくれた。社会的イシューにすることには成功したのではないだろうか。2017年には、『シングル女性の貧困』(明石書店)の一冊にまとまった。この中のインタビュー3本は私が担当した。その後結婚した人もいるが、結婚したら安定、なんていう時代は遠い昔。
インタビューやセミナーで出会った人たちによる自助グループも複数できた。十分ではないにせよ、支援セミナーや国の補助金による伴走支援も始まった。報告にも書いた当事者の望むことのうち「具体的なサポートプログラム」と「同じ立場の人とのつながり」は少しずつ進んだ。「社会の風潮や制度の改革」、これはどんな場合も時間がかかるものだ。
あれから8年。2023年『世界』5月号には「見えない貧困」特集のなかで座談会「透明にされた“中高年シングル女性”の困難」が掲載されている。メンバーは、ライターで当事者の和田静香さん、2022年に中高年シングル女性2,350人の生活調査をまとめた「わくわくシニアシングルズ」の大矢さよ子さん、同僚の植野ルナさん、金涼子さん(二人ともその後の取組であるシングル女性を中心とした住まいの調査を企画・担当)。ここで語られている課題は以下だ。
・日本で女性支援と言えば若年層やひとり親含む子育て層に限られ、低所得で困窮する中高年シングル女性にはいまだ何も公的支援がない。
・40歳以上のシングル女性で公的支援は子どもが18歳以下のシングルマザーにのみ。40代50代のシングル女性510万人のうちこれは15%にすぎない。
・中高年女性が働いて自立できる賃金にしなければ、(貧乏なおばあさんが増えるいっぽうでは)社会は崩壊してしまう。
・居住支援が本当にほしい。セキュリティ面から女性は男性より家賃がかかる。が、公営住宅(そもそも不足)は応募のハードルが高い。
・女性に対して「子育て罰」(母だけに家事育児負担)、「シングル罰」(未婚であるだけで制度外に置かれる、バッシング受ける)、それぞれ状況は違っても「女性罰」がある。分断を超えていく発信をしたい。
そうよねえ。しかし。
「分断をこえていく」のは今日、至難のわざだ。会社でも活動でも、いろんな分断や小競り合い?がある。分断の細分化も進行中。津波も時折やってくる。だけど、何のために生きてはたらくの? まだない社会を見る、変えていく、みんなで幸せになるためじゃなくて、なんのため? しごとって指令に従うことじゃない。そんなつまらないことじゃない。
まだないことを創り出していくには、信頼できるなかまが必要だ。組織の中にも。外にも。そうやって、自分が不十分でもなんとかやってきた一人として。この連載で書いてきた講座の参加者や朗読チームの人々にも、今でも助けられてしごとをしている。これを読んでくれているあなたも、ありがとうございます。
信頼もなかまもつくっていくもの。はじめからあるものじゃない。ためるもの。どんどん次につながっていくもの。じわーっと醸す、醸されるもの。
この調査のしごともそうだったなあ、と思うのです。(つづく)
和蔵酒造 since1875 千葉県富津市。醸されつづけて。
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