連載12 分断、だん、だん。つぎはぎ歩く
前回、「はたらくをめぐるぐるぐる」を書くのは難産で、うなった。
ひ、ひ、ふー、うん。むだな力を逃す。力を抜く。これはいろんなときに応用できそうだけど、ラマーズ法はいまもあるの? 私は2回とも自宅分娩で、1回目は田畑キヨさんという磯子のお産婆さん、2回目はいま大きな助産院を経営する豊倉節子さんにお世話になった。妊娠もお産も、予期せぬときにやってくる。初回は「もっと準備してるのかと思ったら、全然でした」と産婆さんが母に苦情を言っているのを、もうろうとしながら聞いた。スミマセン。キヨさんは紅白のスーツケースにお産道具一式を詰め込んで、夜明けの団地に飛んできた。キッチンでお湯をしゅんしゅん沸かしていた。2回目はさすがに、「ひ、ひ、ふー、うん」をビデオ見て学習した。会陰を切らない。待つ。自然分娩は私のこだわりだった。
分娩でなぜか浴場を思いだして。鶴見の安善湯。八角形の空間が美しかった。今もある?
1980年代、エコロジー隆盛だった20代前半。助産婦になろうと学校に通って中退したことがある。でもそのとき看護学校(無料だった!)でまず習った、重い人や物を運ぶからだの使い方とか、人には本来自然治癒力が備わっていて、それが阻害された環境を整えれば力が出てくるとか、それはたとえば光やあたたかな温度や声かけであるとか、深い学びだった。
病棟実習で食道がんを患っている50代男性に足湯をしたとき、「一期一会」と紙に書いてくれた。読めなかった23歳の私に、その人は「いちごいちえ」の意味を説明してくれた。
そう。いま隣に居る人と明日には別れるかもしれない。力が出てくる環境をつくる。しくみをつくる。土壌を耕す。助産婦にはなれなかったけど、場づくりの農婦になったような。畑しごとは苦手なんだけど。
前回の記事に同世代の友人からコメントをもらった。「そうか。社会に出たらもう新自由主義になっていた若い世代の苦しさがわたしにはわかっていなかったな。そんな話もしたいね」って。はい、したいです。
私にもわかっていたとはいえない。自分の苦しさ。若い世代の苦しさ。それが分断された苦しさだったと。
2012年頃、高山直子カウンセラーの「相談員トレーニング」に通ったことは自分をとても楽にしてくれた。この世の中は、自分のなかにも、なんてたくさんのジャッジメントがあふれていることだろう。自分自身をもジャッジして。〇〇ができない、自分のせいだ、とか。 逆にほめることもある意味、ジャッジだと知った。「あなたの出身校は、出身地はすばらしい」とかね。ほめも否定もせず、「そうなんだねー」とただ聴いてくれ、他言しない友人はとてもありがたい。いちいちジャッジしなくていい。したくなる自分の価値観を、疑え。
2014年。トレーニングの主催 「はたらく女性の全国センター」の運営メンバーとなり、「対話の土壌をかもすワークブック」の編集を引き受けた。赤入れした紙が家じゅうに舞い、「毎日定時で帰るのに、なんでそんな忙しいんですか?」と後輩に言われた。タイトル一つ決めるにも、話して話して話した。団体では女性が働くことについての議論も積み重ねてきており、「働く、女。そしていのちへ」という100年ビジョンの冊子も作った。それには、こんなフレーズがあった。
はたらくとは、命を支えることだ。
賃金が支払われる労働だけではなく
家事・育児・介護・社会活動・趣味など
自分を支え、人を支え、命を支えるあらゆる営みである。
かもすキャラクターとして「ぽやっと」が生まれた。ナガノハルさんの作。あみぐるみバッジを作るひとも。
「はたらく」にはあらかじめ自分や人を「ケアする」ことが組み込まれていなくてはならない。この集団知を受け取ったのは財産だった。また、団体では「週3日労働で生きさせろ!」というテーマを掲げてもいた。こんなにテクノロジーが進化したのに人は楽にならず、しんどくなり、労働時間も短くならない。
「人と問題を分ける」という考え方も役に立った。あの人はこれだから問題だ、とレッテルを貼りがちだ。でも、それでは問題は解決しない。問題・課題はなにか。そこを考えていけたらいいよね。
数年間、氷河期世代やそれより若い女性たちと、毎月の運営会議や作業やなにかで話しこんだ。若い人は「野菜が高くて、買えない」と言った。安定している?立場の私は居心地が悪かった。職場でも、なんで私が係長で、この有能な人が部下なの? それも額面20万円の契約社員で。逆なんじゃ? とよく思った。だけど、正社員はもっと働くべきと思うと、それもまた人を追い詰める。人それぞれ特性や事情、ペースもある。私だって、ゆっくり育ててもらった。しかし、賃金と身分の底は下がるいっぽう。時給の派遣社員で、とても働いてくれる人もいる。理不尽。でも、若い正社員が悪いわけでもない。この難題は構造的な問題ゆえ、とても一人ではほどけない。
3/8のウィメンズマーチにむけて、みんなでバナーをつくったある日。思いがけないものができるのは楽しい
コロナ下となり、人を集める場やイベントごとは減った。指定管理者の「ボリューム」から少しだけ解放された? いまは考えどき、変わりどきだと思う。オンラインにも疲れてきた。人に会えることがこんなに貴重になって。安全な場は「ぬちぐすい」(いのちのくすり)だ。
2022年4月。とうに退職した先輩がたが「おつかれさま」と声をかけてくれた。わざわざお花を送ってくれたり、席を設けてくれたり。ありがたいことでした。「リカバリーに何ヶ月かかかるよ」という体験者もいた。実際、私もしばらくぐったりしていた。
いのちは不敵な様相で継がれていきます
残った私的ファイル「しごとのあしあと」1冊に呼ばれてしまい。ちゅうちょしながらも、夏頃から何人かに「書きます」と言って自分を追い込むというエムな連載?!
うまくいかなかったことごと、失敗や無念をあしあとに残し、活用しようと思いました。満足したら、これは書かなかったと思います。人や自分へのケアを含めた「はたらく」をつぎはぎ(継ぎ接ぎ)して、このつづきを歩きましょう。
まだもうすこし書きたいことが残っていますが、ゆく年くる年。いったん休んでまたぼちぼちと。それで、泉に水が少したまったら「しごとのあしさき」に変身しよう、と無計画にも思っています。でもその前に「しごとのあしあと」、あなたはどう思われたでしょうか。やりとりできたら楽しいです。登録してくださった方には、このあと別に一斉お手紙配信させていただきます。お読みくださり、ありがとうございました。1年おつかれさまでした。よいお年をお迎えください。
横須賀、走水港。三浦半島の原風景が残る。春がちかづくと空がこんな色になる。
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