連載9 “ガールズ”講座を立ち上げた頃
仕事人には2つのタイプがあるという。登山型とハイキング型と。前者は目標に向かって計画を立て、登っていく。後者はとりあえず目の前のことに注力していたらここまで来たっぺ、みたいな。あなたはどちらですか? 私はどうみてもハイキング。いやキョロキョロさんぽしてたらこの森を探険していたよ、タイプです。
予定されたことをやるのは不得意。海とも山ともわからない、そして正解のないことをやるのが好き。目標はなく、いきあたりばったり。でも、やってるうちに成果を見せるというか、こんな意味があるよ、あなたも私もこれがあったら楽になるでしょ~と喧伝したくなる。ただの欲張りなのかも。
40代はワーカホリックで、同じ日に二つのイベントがブッキングしてしまうこともあった。それも自分で気づかないから、迷惑をかける。「ちょっと。これ同じ日ですけど、どうやるんですか?」と後輩のSさん。「ご、ごめんなさい。助けてー」
そして一つのしごとを3年くらいやると、異動したり、違うことをやったり。飽きっぽい。そんな私が唯一、長~く続いたのが“ガールズ”支援のしごとです。始めたころ、娘Bが「東京ガールズ・コレクション」というファッションイベントに行っており、この名前にしたような。
2010年代、私はずっとこのしごとをしていた。まあ就労支援事業に位置づいていたし、これは未踏の森だと思い、キャリアコンサルタントの資格をとった。それも詰めがないから一回では取れず、浪費をした。そして2022年のいま、社会福祉士の勉強をしている。これももっと早くやっていたら、もう少しよいしごとができたんじゃないかと思う。後手後手だが、しかたない。そしてこれから自分なりに続きのしごとをしようと思って、やっている。
この10年で社会は激しく変わったと思う。今では行政に「ひきこもり支援課」ができるほど社会化した「ひきこもり」という言葉。当事者団体である「ひきこもりUX会議」の調査や発信、「ひきこもり女子会」の活動は目覚ましい。障害福祉の法律が次々できて障害福祉制度が国際水準に向けて整った10年でもあった。生涯未婚率(50歳で一度も婚姻してない人の割合)は10年間で男性20%から28%に、女性10%から18%に。非正規雇用が3人に1人となった。貧富の格差がひどくなったが、今の貧困は目に見えない。違う階層や文化の人と出会うことも少なくなった。「自己責任」をひたひたと内面化させられ、怒る人もいないソフトな階級社会。だれもが包摂される社会が目指されているのに、だれもが排除されやすい社会。こんな社会で、働くことはだれにとってもしんどい。娘たちの時代にはもう少し女の人が生きやすい世の中だったら、と思って働いてもきたけど、全然そうなっていない。むしろ。がっかり。。。
2008年、ニーズを知るために「若年無業女性の自立支援に向けた生活状況調査」をした。困っている単身女性がどこにいるのかわからず、あちこちに用紙を置いてもらったり、ネットカフェに配りに行ったりした。約50件しか集まらなかったが、重層的なさまざまな困難を抱えつつ「働きたい」と考えている若い女性がたくさんいることがわかって、2009年に「ガールズ編しごと準備講座」を立ち上げた。対象は15歳から39歳までの無業シングルの女性である。サブコピーは「働きづらさに悩むあなたに」。前回書いた講座ルトラヴァイエより少なめの、定員20人。準備期間が少なく、だいたいのプログラムを決めたが、人が集まるか? 知らせること伝えることが第一関門だった。当時、Mixiの投稿を見て来てくれた人も。なんとか集まって、ほっとしたのもつかの間。やりながら明日のレジュメを作っていた。見学や取材の申込みにも追われた。毎日、想定外の色々なことが起きた。ある受講生が部屋を出ていったと思ったら、トイレにこもって泣いている。講座の中では「婚活と就活はどっちが先? 30歳は崖っぷち」「履歴書に書くことが1行もない」「水商売の期間はどう書く?」などの質問。そもそも「世の中に自分を助けてくれるところはない」「人がこわい」「相談などしたことがない」という。最初はしーんと静まり返って始まった講座の場が、それでもだんだん活気を帯びてきて、最終日にはあふれる思いを繰り出して笑ったり泣いたりしていた。グループ・ダイナミクスがここでも成り立ったことに、私はほっとした。
再就職準備講座のように「自分を語る」ことではなく、からだをケアしたり、声を出したり、と身体的なところから入るプログラムにした。そもそも何に困っているのか、言葉で語れたら苦労はない。相談する、という行為は人や社会に期待があるからできるのであって。子どものころから期待のひとかけらも持っていない若者たち。(でもまだ、このときは就職氷河期の人で30歳くらい。怒りのエネルギーにあふれている人もいたのがなつかしい。)
「“これまで社会には私を助けてくれるところなんてない、とあきらめていました。でも、この講座に通ってきて、少しはあるかもしれないと思えた”、“ここではだれからも(自分が)だめと言われず、居やすかった”、“みんながやさしかった……(涙)。悩んでいるのは私だけじゃなかった”」(『下層化する女性たち~労働と家庭からの排除と貧困』小杉礼子・宮本みち子編著、勁草書房、2015年、第8章 「横浜市男女共同参画センターの“ガールズ”支援~生きづらさ、そして希望をわかちあう場づくり」小園)
この地味な本は2014年のJILPT主催「労働政策フォーラム アンダークラス化する若年女性」のまとめでもあるのだが、4刷になって読まれている。「見えにくい女性の貧困~非ジェンダージェンダー」(江原由美子氏)や「ままならない女性・身体」(金井淑子氏)の論考など。
「女の人のしんどさって、どこにあると思いますか?」とある座談会で講座の卒業生に聞いたことがあった(「フォーラム通信」2012年秋号)。
Aさん: うーん。働いて、結婚して、子どもも産まなきゃいけない、介護もしなきゃ…それに比べて男は仕事だけ頑張れ、みたいな。
BさんCさん:そうそう! そんな感じ。いろんなことができなきゃいけない。求められているものが多すぎるよね。
Aさん:仕事も結婚もしていないっていうと、半人前以下に見られちゃう。私はうつで休職して、早く戻らなきゃと焦っていたのに、父の介護をしていたんです。兄と分担できたらと思ったけど、「あなたはヒマでしょう。娘だから当然」と言われて。
ここには、女性ならではのしんどさが語られている。職場にも家庭にも居場所がない。しかし、このあと、「講座はきっかけ。それを生かして動き出すのは自分自身」だと語られている。そうして動き出して苦労して彼女たちは10年後、一人はこの講座でヨガ講師を務め、一人は障がい者雇用で就職し貯金をし、一人暮らしを果たしている。もう一人は横浜市の障害者差別解消委員会の当事者委員として活動している。
受講時には障がいの診断は受けていない人がほとんどだ。そもそも、親のケアと情報がなければ障害認定は得られない。障害年金を取るのも一大仕事である。いじめ、あるいは暴力被害などがきっかけで、二次障がいとして心の病気になる人も少なくない。私もあなたも、そうなりうる。
神奈川新聞には本当にお世話になってきた。2014年、Nさんの出てるこんな記事も。無料で読めるのが貴重。
このしごとを通じて、いろんな人に出会った。ITがすごく得意な人、手先が器用でアクセサリーを作る人、イラストがうまくて独特な世界を持っている人、スポーツと人間が好きで友だちが多い人、考え深くて他人思いな人。。。彼女たちは同時に、あるときはオーバードーズをしたり、あるときは性産業でお金を貯めたり、親に守ってもらえずに頼れるパートナーを見つけたと思うと別れて住むところに困ったり、親の「そんな仕事」という一言でアルバイトにも就けなかったり、していた。夜中に親が暴れている人もいた。「小学校は戦場のようでした」と言った。多くが精神的に病んだ経験をもち、また、不登校の経験を持っていた。それはもはや社会がつくっている病であって、彼女たちのまっすぐな心身はそれを反映して動かなくなり、レジスタンスをたたかっているように、私には見えた。昔と違って、外に石を投げるのでなく、我が身を傷つける。。。
「働けていない」ということがまた、彼女たちを追い詰めていた。この長丁場のグループワークである講座の運営もかなりの力仕事ではあったが、講座だけやっていては出口がない。なにしろ、修了してハローワークに行く人はいないのである。スタートラインは地下深い。それは彼女たちが不十分だからではまったくなくて、人を排除する社会に起因する、と私は思う。幸い、講座は後輩のUさんにバトンタッチすることができたので、次に就労体験の場として「めぐカフェ」を、南区の下町にある施設で開くことになった。環境をぐいぐい作ってくれる横浜市主管課のS係長の熱いパワーにも助けられた。時間は同じ速度で流れない。このときも走ったなあ。条件がそろうときのために、うまくいかないときはのらくらしてていい、充電しておくに限る。
2010年の暑い夏。講座は3期まで終わっていて、卒業生は約70人。その人たちに「いっしょにカフェをつくろうよ」と呼びかけた。25人が「参加します!」と言ってくれた。未踏の森がまた出現。。。(つづく)
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