連載8 ファシリテーターの居かた~講座ルトラヴァイエ

講座というよりグループワーク。グループは発酵する生き物、有機ナマモノだからおもしろい。その中でグツグツとわたしも育ててもらいました、の巻。
小園弥生 2022.11.19
誰でも

話は2002年に立ち戻る。すっとこどっこい、職員コゾノの10年目。私は女性センター職場のブランド事業であった「女性のための再就職準備講座ルトラヴァイエ」(11日間のグループワーク、そのあとにパソコン講習が付いていた)を担当することに。これは1988年の開館と同時に始まった講座で、私はたしか6代目の担当だった。代替わりするときには全日程、前任の先輩について見習いをするという徒弟制。時間割と内容、つまり何をするかはあらかじめ決まっているが、どんなふうにそれをするか、どう居るのかが難問で。24人の個性あふれる女性がエネルギーを飛ばす場で、ファシリテーターは空気のように居ながら、よい気が流れるように調整していかなければならない。あわわわわ。

若いとき、私は就職試験にめっぽう弱かった。とーぜんだ。いくら80年代がゆるくても、出版社の応募履歴書に大口開けたスナップ写真を貼る人って(ワタシ)。そんな私がここから20年間もヒトサマの就労支援に携わるとは。。。

***

「ル・トラヴァイエ」はフランス語。1973年にパリの薄暗い地下教室で、民間団体 ルトラヴァイエ協会のエブリーヌ・シュルロさんが始めた。ちなみにシュルロさんは4人の母で、人工中絶が厳禁だったカトリックの国フランスで闇中絶に苦しむ女性に共感し、非合法情報活動をする「フランス家族計画協会」(1956年~)の事務局長を10年も務めた。(中絶問題も出てくるアニエス・ヴァルダのフランス映画「歌う女、歌わない女」(1977年)に高校生の私は感動した。男女共同参画センター横浜のライブラリにもありますヨ)

そのしごとをする中でシュルロさんは女性たちの困難に目覚め、大学に行って社会学者になり、1967年にヨーロッパで初の女性学講座をもつ。女性の職業教育にまい進する。主婦らを指導員に養成しはじめ、協会の財政基盤を強化し、地方に22支部をつくる。農婦でない職業が増えてきた1970年代に、失業者向けの講習、若者向け講習、OA・営業・公園管理等の資格取得講習、企業での男女格差解消のためのコンサルティング、さらにはがん患者や出獄女性、生活保護世帯向けの講習までやっていたという。

 (その後ルトラヴァイエ協会はどうなっているのか、仏語に堪能な方、教えてほしい♡)

<i><b>photo language 1972と記された写真セットを職場のキャビネットで見つけた。ケースにはフランス語。パリの講座ルトラヴァイエで使われていたと思われる。フォトランゲージは、100枚の写真からいまの自分と未来の自分を二枚選び、なぜそれを選んだのかを語る。それが初日の最初にやることだった。</b></i>

photo language 1972と記された写真セットを職場のキャビネットで見つけた。ケースにはフランス語。パリの講座ルトラヴァイエで使われていたと思われる。フォトランゲージは、100枚の写真からいまの自分と未来の自分を二枚選び、なぜそれを選んだのかを語る。それが初日の最初にやることだった。

フランスからギリシア、スイス、イタリア、カナダにまで広がった講座ルトラヴァィエが海を渡って日本にやってきたのは1980年代。横浜市が日本での権利を買い、翻訳し、日本版にアレンジして始めたといういわく、いや由緒あるプログラムだった。フランスでの対象者は当時普通だった低学歴の女性たちで職業経験が少なく、負のレッテルをまず自らが払しょくするために自分を掘りさげていき、自分の価値を発見することを基軸に構成されていた。

「この講習の目指すものは、“してもらう”のではなく問題を“自力”で解決するための手順、方法論の習得であり、今後すべてがゼロという状況に陥ったとしても、再出発のためのための方法論は習得済みだから心配いらない、ということが繰り返し述べられる」

「そのため、自分の問題に答を見つけてもらうことや進路を示してもらうことを期待してやってきた者はその甘えや依頼心を突き放され、自分自身を直視するというつらい作業を課される」とフランスでこれを受講し、研究した寺田怨子(ひろこ)さんは書いている。
(「フランスにおける女性のための再就職教育の調査と研究」1987年)

さらに、「グループダイナミクスが日々発動する中でお互いの人格を尊重しつつ、受講生間の精神的な絆がはぐくまれ、その後も連帯感は続いて人生を肯定的なものにしていくという副産物も生まれる」と寺田さん。これは本当に私が11日間×5コースを担当した2002年~2004年当時も、その通りであった。長いブランクを経て、再び仕事につくという目標のために、学歴も背景もまったくちがう異文化を持つ女性たちが集まっていた。受講料1万円なり(ひとり親等は無料)。支払うというのは意味のある行為だ。

<i>これは2000年代に横浜で使っていた写真たち(撮影:落合由利子)。1988年に始まったときは松本路子さん撮影のモノクロだったが、被写体がちょっとレトロになってきて、カラー新版をつくった。</i>

これは2000年代に横浜で使っていた写真たち(撮影:落合由利子)。1988年に始まったときは松本路子さん撮影のモノクロだったが、被写体がちょっとレトロになってきて、カラー新版をつくった。


いまでもよく覚えているが、「自分を知る⇒社会を知る⇒自分で決める」というのが横浜でも、募集時に明記したセオリーだった。ほとんどがグループワークで、定員は24人。11日間のうち半分は講師がいない。ファシリテーターが一人で進行しなければならないという重労働に、眠れなくなる担当者も。このしごとにはいやでも鍛えられた。

受講者には当時、有能な主婦も多かった。「そうじをしなくてほかのことを優先してもべつに生活はできますよ~」と私が言ったらば、翌週「3日間掃除をしないでみました。本当でした!」と言われて驚愕した。かと思えば、親のいない環境で育ってきた女性もいた。いま、そんな多様な人々が集まるグループはなかなか稀有なのでは。。。

どんなプログラムでどんな人々がどうなっていったのか、関心のある方は国立女性教育会館研究紀要第9号に寄せたレポート(2005年8月)「再就職準備講座ルトラヴァイエの実践~困難な状況にある女性の自己決定を支える」をお読みくださればと思う。

新聞記事は2004年2月10日 神奈川新聞。10年分の修了者にアンケート調査をした。主婦的状況がわかる記事を書いてくれたのは、若き柏尾安希子記者。今では単身女性も増えて、パートではたちゆかない。この20年の社会経済の変化は本当に大きい。生涯未婚率は男28%、女18%(2020年、国勢調査)。働く者の3人に1人は非正規雇用。

新聞記事は2004年2月10日 神奈川新聞。10年分の修了者にアンケート調査をした。主婦的状況がわかる記事を書いてくれたのは、若き柏尾安希子記者。今では単身女性も増えて、パートではたちゆかない。この20年の社会経済の変化は本当に大きい。生涯未婚率は男28%、女18%(2020年、国勢調査)。働く者の3人に1人は非正規雇用。

ここでは、レポートから「ファシリテーターの役割」として書いた部分を抜粋します。

「担当者として毎日進行役を行うファシリテーターの役割について述べてみたい。というのは、5コース(2年半)を通じて一番このことを考えさせられたからだ。どのように存在しているべきなのか。答えが出ているわけではないが、一つだけ言うとしたら、なによりも講座が安全な場として機能し続けることを支える役回り、だ。それでなくとも自分の職業観や人生観が出てしまう。自分自身が悩みの渦中にあったり、健康を損ねている状態では身がもたない。「しごとは第一に体力」と受講者に言うとき、自分自身が健康で体力のある状態を保たなければならない。自分の価値観や状態、くせなどについての自己理解も不可欠である。最近は様々なトラウマを抱えた受講者が多く、その背景理解も必要である」(注:2000年代の初めは、DV被害にあった主婦や離婚準備中のひと、シングル女性が増えてきた頃だった)

「ファシリテーターは場を見守る役目であるが、安全な場になにか阻害要因が生じそうなときには察知し、生じたときには体をはって介入しなければならない。初日にグランドルールを提示することもだいじなこと。そして自分の価値観に固執せず、無になって人の経験を聴くことが必要だが、そのために自分の枠組みがこわれたり揺らいだりする。そういう役回りなのだ。それでも、私の個性と合わない受講者もいるだろうといつも不安だった」

「一人ひとりの語りを聴くとき、その方のいいところを一つでも多く発見し、言葉にして皆で確認する。いい“気”が循環していくとき、グループの力が最大限に発揮されていくように思う。なかまのなかで自分が本来持っている力に気づき、自信を回復していく」

一人ではなしえない、グループの力がある。最終日は「職業計画発表」という題で全員が語る。人前で話しておくと実現するよ~、というわけで「私はこれからこういうことをやっていきます」と宣言する。

これは受講者のKさんから「最終日のようすを書いてみました」と贈られた図面。「これからが新しいはじまり」と書いてある。

これは受講者のKさんから「最終日のようすを書いてみました」と贈られた図面。「これからが新しいはじまり」と書いてある。

最終日の宝物のようなひととき。ほかほかした黒土の上に、いろんな木が立っている。やせっぽちなの、太ってるの、のっぽなの、ちいさいの。それが私のイメージだった。私のヨレヨレの木も一本、輪の中にいるけれど、大したことはできない。無力で不十分な。参加者の一人ひとりに教わったことが大きかった。その中でじっくりグツグツ、育てていただいたと思う。いまでもいろんな方の顔が、エネルギーが浮かんでくる。

卒業生はこの時点で1000人を超えており、地域のいろいろな場で働いてキーパーソンになっていた。介護士、ライター、秘書、講師業、起業家、ソーシャルワーカー。。。修了者の会もメーリングリストも長らく運営され、なんと解散時には私たちの協会に寄付までしてくれた。

しかし。
11日間という長丁場の講座には人が集まらなくなり、徐々に日数を短縮し、2009年で講座ルトラヴァイエは終了した。いま女性が働くのは国策で推進されるようになり、みんな忙しくなった。うまくいかないのは自己責任、じゃないのにね。「自分で決める」ことは子ども時代から経験も少なく、むつかしくなってきているように思う。自分に向き合う時間も場もなかなかない。もはや場づくりは抵抗文化?! でも、だからこそ自分で決める「場をつくる」ことは、誰にでも開かれた公共の場で行うしごとなのでは?

ファシリテーションはもちろん学ぶべきことではあるが、単にスキルの一つにならずに、対等な人として人にどう対するか、どうその場に居るのか在るのかということを探求したい。たとえば居心地のいいカフェの店主のように、居るか居ないかわからないような空気のような居かたがよいのでは。私自身はこの経験をへて、2009年の「ガールズ編しごと準備講座」のプログラム作り、立ち上げにいたったと思う。(つづく)

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