連載3 自助グループの仲間たち

「たましいのかぞく」の詩を歌にして。表現をやりとりして生き延びた日々。安全な場は自分たちでつくっていくしかない。
小園弥生 2022.10.14
誰でも

    「たましいのかぞく」

わたしたちは 手をつないで
はるか遠く離れて 家を思う
父をあきらめる 母をあきらめる
兄や姉とは 話がつづかなくて
妹や弟は 出ていってしまった

わたしたちは 昨日出会い 明日にはもう別れる
それでもわたしたちは たましいのかぞく
ソウル・ファミリー・システム それがなまえ

わたしたちは 手をつないで
全速力で走り つんのめり つまづいては転ぶ
膝小僧から流れる血をなめてみたら 塩からくて
私という生き物の なつかしい味がした

言葉はのどにつまり 思考はからまわり
不安なことがあるなら おなかに聞いてみよう
Everythings gonna be, woo, it,s all right.
うまくいくってさ うー えいえいおー

昨日 古い教会で出会い
手を振って別れたあの人
わたしの母かもしれない
今度出会ったなら 気づくだろう

わたしたちは 昨日出会い 明日にはもう別れる
それでもわたしたちは たましいのかぞく
ソウル・ファミリー・システム それがなまえ

           (葛切あきこ 2001年)

摂食障害の自助グループNABAのニューズレターに載っていたこの詩に出会ったのは、40歳のときだった。私はある依存がきっかけで、自分の育ちや親など目をつぶってきた問題に向き合わざるをえなくなっていた。NABAの発信する言葉たちや書籍が、怒涛の海水のようにしみてきた。自分は無力であること。どうしようもないこと。底ついたら浮上するしかないこと。生きのびること。仲間の中で。

同世代のあきこさんは、実家を出て一人暮らしする30代の終わりにこれを書いていた。ソウル・ファミリー・システムとは、自助グループのしくみのこと。それはスピリットのような情緒的なものではなくて、みんなで手をかけて作り続けるシステムだと言う。そのことに私は打たれた。

子どものころから歌を作ることが好きだったので、「たましいのかぞく」に曲をつけてみた。歌姫がNABA事務所からやってきて、狭い我が家で録音するとうちのインコがいっしょに歌った。それから、しごとではなくてプライベートでオープンイベント「やっかいな夜会」を3回企画。あきこさんもコアな企画仲間だった。ダンスや詩、パフォーマンス表現、自助グループの仲間との語りなどをやりとりして数年過ごした。

これは二回目の夜会の記録。キッチンパフォーマンスのような。ヒューマンサービスセンターが運営していた小さなスペースで、深沢純子さんらに本当にお世話になりました。

これは二回目の夜会の記録。キッチンパフォーマンスのような。ヒューマンサービスセンターが運営していた小さなスペースで、深沢純子さんらに本当にお世話になりました。

これは3回目の夜会のとき制作した作品。祖母・母・私・娘の20歳ころの写真。祖母は30代のしかなかったけどね。

これは3回目の夜会のとき制作した作品。祖母・母・私・娘の20歳ころの写真。祖母は30代のしかなかったけどね。

2013年、「たましいのかぞく」をCDにする相談のために連絡したが返信はなく、あきこさんが先に逝ったことを私たちは知った。彼女が50歳を迎える直前だったと思う。

語りのようなコンテンポラリーダンスを踊り、よく練られたコピーや、するどい文章を書く人だった。非常勤や派遣で働いていた。40歳のとき、こう書いていた。

「今の自分にはたべものや体重のこだわりはほとんどない。これからが本題である。実は私が最も恐れ、長く先送りにしていた問題というのは“愛情”である。“女性として愛される存在”であるかどうか試されるのもこわくて、私は自分が女性の一員であることを自分に認められなかった。もう現実の問題に手をつけるしかない。私は妻でも母でもないが、そういう“さら地”に“大人の女性”として生きていきたい。」

(『現代のエスプリ アディクション特集』2003年9月、「アディクションのセルフヘルプグループ」より)

その後も彼女は『ふぇみん』でエッセイを連載していた。2005年8月の「日々のぺんぎん」最終回から。

「なくすと思っていなかった人やものごとを失う、ということが年末から続いている。
(中略) “失う”ということは、“失うということを得る”のではないかしら。ずっと得たまま、なくさないでいるなんてできない。失うということができないと、わたしというシステムは死んでしまう。失って、そして新しいものを迎えるというプロセス。満月を見ながら静かに思う」

満月の夜には手放したいことを願い、新月の晩にはほしいことを願うとよいと聞いたことがある。満ちてきたら手放す。なくなったらそこから始まるのかもしれない。でも、身近な人、大切な人を失ったときに、「失うということを得る」のはむつかしい。

「やっかいな夜会」は気の合った摂食障害の仲間たちとやっていたこともあり、「食べる(食べない)」がテーマだった。食べるという行為は性行動と似たところがある。20代のとき、私は苦しかった。夢の中で銀のナイフをもって、自分の肉を切りとっていた。でもそれをしているのは自分なのか、男なのかだれなのか。。。

 若い女であることは 
 皿にのったさしみのように
 食われやすく 腐りやすく
 自分の肉のにおいに耐えがたい日々もあり
 ときどき人になったり
 ときどき女になったりした
 暗闇の私は ずるく愚かしく
 すっかり出遅れたのは自分のせい

       (拙作「あこがれ」 部分)

自分のかぶっている皮膚がどんどん腐っていく気がして、耐えられなかった。と夜会の準備会合で言うと、「わかります。いっそくん製になったら」と言われた。でも若くしてくん製にもなれず、子どもを産んだりして、あきこさんの言う“さら地”から逃げたのかもしれない。腐っていく感覚は、若い女が外から浴びせられる視線ゆえで、自分の内面にもそれを取り込んでいたからだと今はわかる。

わかっても、この社会は変わってないどころか、いま若い女性たちは家庭人と労働者とさらにたくさんの役割を期待され、“さら地”も空地も見つけにくい。ただ生きていることもたいへんになる一方だ。そんななかで体験を聴き合う、いやも話さなくても聴いているだけでいい安全な場がどんなに必要なことだろう。安全島はあちこちに皆で作っていくしかない。

自助グループの文化と地下水脈に集う仲間たちとの出会いは、自分が生きる源泉となり、地中の肥やしとなっていった。その土の上にしごとの種や芽を育てていけたのは恵みだったというほかはない。(つづく)

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