連載10 働く体験のできる「めぐカフェ」をつくる

2010年の熱い夏から。この先へ。ともに。遭難した船が少しずつ進む。船着き場を工事したり、補修したり。しごとはとんてんかん。スキはだいじ。共に編むために。
小園弥生 2022.12.06
誰でも

2010年の暑い熱い夏。ガールズ講座の卒業生20人ほどといっしょに、カフェをつくることになった。主催者もしろうと。恐ろしやー。原価率ってなに?  ほうほう、みたいな。「めぐカフェ」という名前もみんなで出し合ったなかから、メーリングリストで投票して決めた。(次点はレンガでできた空間だったから「れんがカフェ」。多数決もなかなかよい?)。「めぐりがよくなる」「人やコトにめぐりあう」という意味がこめられていた。キャッチコピーは「ここに来れば だれかに会える」。実際、開店からまもなく東日本大震災が起きて、不安な時期にいろんな人が集まる場にもなっていた。大岡川沿いのレンガ造り3階建て公共施設はふらっと入りやすい。フラットで。お客さんである下町の人々もあったかい。この土地には社会事業上120年をこえる歴史があり、面白いのだけどその話はまたいずれ。

めぐも木にのぼる。おだてること、やってますか?

めぐも木にのぼる。おだてること、やってますか?

利用者といっしょにゼロからカフェをつくる。当時は、次はこれ! と当然のように思ってやっていたけど、いまだったらできないことかもしれない。主催者だけで考えて人を雇って、、さあどうぞ、と受け入れるのが通常だろう。私は「あの人は放牧しておいたほうが働く」と思われていたせいか、かなり自由にやらせてもらった、ふところの深い組織ではあったと思う。11月の開店まで、何か月かかけて研修をやっていた。接客、広報写真撮影、チラシづくり、チラシ配布、コーヒーをいれる、などなど。この頃の手探りぶりは、初期のめぐカフェ準備ブログにくわしい。

途中で突然来なくなった人に「あなたが来てくれないと開店できないですよー」とメールしたら、ずいぶんたってお母さんから「娘は入院していました。ご迷惑をおかけして」とお返事。申し訳ないことをした。具合が悪くて電車に乗れなかった人が、消しゴムハンコを彫って送ってくれた。それが今もカフェのロゴになっている。絵を描くのが上手な人がとにかく多かったから、カフェの壁にみんなで展示をしたこともあった。開店祝いの席で、黒いエプロンをつけて現場に立った人々の顔、顔、顔。誇らしげな顔は忘れられない。

お年寄りにも、子連れの方にも。

お年寄りにも、子連れの方にも。

以下は、2年たった時に横浜市の研究誌に1ページ書いたものですが、自分でも愛着があるのです。今回、太字にしてみた部分など、、、スルーっとお読みくださいませ。

若い女性の就労体験「めぐカフェ」~横浜市男女共同参画センターの試み
男女共同参画センター横浜南  小園弥生

「めぐカフェ」が男女共同参画センター横浜南(横浜市南区)にオープンして、2012年11月でまる2年を経た。カフェは、就労に困難をかかえる若い女性に「就労体験」の場を提供することを目的として、センターの女性就労支援事業の一環として開設した。支援対象者は15歳から39歳までのシングル女性(マザーを除く)である。
 センターを運営する(公財)横浜市男女共同参画推進協会では、設立当初から女性の就労支援に取り組んできた。再就職支援から出発し、母子家庭の母親や DV 被害女性など困難な状況にある女性の就業支援に対象を広げてきた。若い女性への支援事業を開始したのは2009年。近年、若者への就労支援が始まる中で、女性たちの状況は必ずしも明らかになっていなかった。そこで、2008年に当事者ニーズを知るための調査を実施した。その結果、生活や健康面での困難をいくつもかかえ、孤立している若い女性の実情を把握することができた。同時に、2006年に開所した、よこはま若者サポートステーションの利用者のうち女性は3割であることがわかった(2007年当時)。シングル女性は「家事手伝い」と見なされ、労働力調査の「無業者」からも除外されている。そこで、2009年に日本マイクロソフト(株)の助成を得て「ガールズ編パソコン+しごと準備講座」を始めた。以来、講座は改編しつつ、年に2コース、継続して実施している。
 その後、講座を修了しても直線的に就労できるケースは少ないことがわかり、助走期間として就労体験できる場があればと考え、「めぐカフェ」を立ち上げた。

 就労体験は、いわゆる中間的就労として段階的にステップ1(無給で10日間)およびステップ2(手当付きで20日間)を設定した。1人に1回3時間、週2回程度の体験の場を提供している。その主な目的は接客や調理などの職能訓練ではなく、社会に参加するために必要なソーシャルスキル訓練である。「体調を管理する」「時間を守る」「あいさつをする」「声を出してやりとりする」などから始め、「人といっしょに、安心して働く」ことができるよう構成している。

 2010年の立ち上げ準備期から数えて、これまでに39名が就労体験を修了した。そのうち、高校あるいは大学の中退経験者は13名を数える。通信制の高校や大学に在籍した人が同程度おり、不登校経験者はさらに多い。就労経験をみると、短期間であっても正社員を経験した人は39名中7名、短期間のアルバイトのみの経験者が16名、まったく就労経験のない人が10名となっている。最近では、就労経験のない20代の人が増えてきた。

 就労体験修了後、なんらかの就労をした人は15名である。長い年月 孤立して人と関わらずに家で過ごしていた人が増える中、中間的就労と一般の就労との距離は開くいっぽうだ。障害者福祉制度にのっとって支援を受けるのでない場合、経済不況の中で一般の就労は困難をきわめる。就労以前に、食事作りや片づけなどの生活経験や人と関わる経験も不足している。そうした場合には就労より先に、人の中にいる経験が必要である。

 「めぐカフェ」は地域の中のさまざまな活動と人材にも支えられている。地場野菜の流通の場としてセンターで実施している「地モノやさい市」を実習の一部に取り入れたところ、たいへん効果があった。大岡川アートプロジェクトによる公園イベントで行うスープ売りも、日ごろはできない楽しい経験になっている。地域にすでにある魅力的な市民活動や商店などの力を借りて、体験の場やメニューをもっと増やせないか。行政の施策は「雇用・労働」「文化芸術」「市民活動」「福祉」と縦割りになっているが、若者支援のためにそれらをつなぎ、地域の人々の力を束ねていくことができれば、若者もその親たちも、ひいては行政も将来的に助かっていくだろう。そのために、中間的就労を試みる現場とそれらをつなぐ仕事が自治体に認知された上で、そこに力を注ぐ必要がある。

 人が暮らしていくのに必要なのは経済力だけではない。たとえ収入が少なくても、気にかけてくれる人の輪が増えれば暮らしていける可能性がある。それは貨幣でははかれないセーフティネットであり、このきびしい時代に合った地域力を創り出していくことである。そのために、男女共同参画センターは女性支援の蓄積を活かして、地域拠点の一つになれればと願っている。

          ※参考 「ガールズ応援」サイト http://girls-support.info/

***

 なんでも新しいことを始めるのは楽しい。でも、続けるのがたいへんなこと。この場合もそうだった。ときに事件も起きた。緊張しててんぱっているあまり、500円のお釣りを10円玉×50枚の棒で渡してしまったという実習生もいたと、後に知った(ひえー。その日に言ってくれー)。お客さんは目が点になっただろうが、何も言わなかったそう。なんて人間ができているのでしょうか。。。

元ホテルのシェフがホテルで飾り切りしたあとのエコ野菜を毎週運んでくれ、あるときはカブのマフィンができて美味しかったこと。野菜市・三好さんの運ぶ神奈川野菜のマルシェでは実習の一コマで売り子ボランティアをやるのだが、三好さんも“ガールズ”の役に立てるのが楽しみ、彼女たちも「野菜のことしか言わない、野菜のおじさんが安心で楽しい」とか。。。

 実習生は特別な人じゃない。たとえば、動物が好きだからとペットショップに勤めて、売れないからと殺処分されることに心身が立ち直れないという人が何人もいた。それは当然なことじゃない? 繊細で、やさしいと、世の中に適合することがむつかしくなる、その世の中って。。。

 わたしたちのしごとはコミュニティワークだった。地域の人々の力をどう借り、どう返すことができるのか。たとえば、こういうカフェがあるから、施設があるから、この街に住みたいという人が増えたらすてきだな。それには、働いている人が楽しくないとね。

人気のカフェになっていくことに実習生も喜んで、最初は笑顔のなかった人が笑うようになった。それを見るのが職員の楽しみでもあった。「ねぇ、今日〇〇さんが笑ったの、見たぁ? かわいかったねー」って。オジサンか?  いえ、そういう人ばかりではないですけどね、もちろん。ゆっくり進む、彼女たちの存在によって、職場全体がやさしい空気になるご利益があった。 困難だったのは、カフェ現場を担うスタッフが調理と実習生支援役とを兼ねており、バーンアウトしがちだったこと。それは本当に申し訳ないことで、のちに複数で交代できるようにした。

 それから時は流れ、2019年に「めぐカフェ」就労体験修了者調査報告書 を出した。この冊子制作では、報告書表紙になった絵まで描いてくれた、デザイナーで画家のメリノさん(当時隣の黄金町にスペースを持たれていた)にお世話になった。「この土地は昔、吉田新田を埋め立てる前、入り江の最奥で、ここまでが海だったんです。そこから若い人たちが大海に漕ぎ出していっている」と話すと、この絵を描いてくださった。(以下、報告書より)

支援修了者へのインタビューの中で、ある女性は語っている。「体調に左右されてずっときたけれど今の自分のイメージは、海におぼれて遭難していたけれど、いろいろな人の助けで船が少し進んでいっている」。

報告書のまとめ部分をどう書くか、ウンウンうなってやりとりしていたとき、担当職員のOさんは言った。「私たちのセンターはいくつかある“船着き場”の一つになれればいい。そこではいつでも人がふらりと来て休んだり、給水したり、仲間とお茶したり、情報を得て針路を探したり、なじみのスタッフとちょっと話したりできる。そんなふうに外の大海に通じる川沿いの“船着き場”にいつ立ち寄られてもいいように、環境や情報を整えていたい。」

名言ねぇ。船着き場は台風でぶっ壊れたりもするので、維持するのはたやすいことじゃない。けれど、船着き場の記憶が人々にあれば、もしこの場がなくなったとしても各自がまた別の場でそのような場を作っていくこともできるのではないかな。

「かかわる人それぞれ完ぺきではない者どうし、フォローしあって、しんどい荷物を降ろしながら、やっていけたらと思っています」と報告書のコラムに書いたが、このフレーズの原作者はいま現場にいるNさんだ。このフレーズが私は好きだ。

完ぺきであると対等性も減り、人が参加して共に編む余地が少なくなる。自由な隙があったほうがよくて、それが双方向のコミュニケーションや共に編むことを呼び寄せる、というのは最近参加しているガイド研修の場で聞いて、おー、そうだと思ったことでした。「私はこう思うけど、あなたはどうですか。教えてください」という声かけは年をとればとるほど必要で。若者のほうが知っていることだってよくある。そうそう、と思うあなたも、平等に年をとっていきますよー。

次回は「はたらくをめぐるぐるぐる」です。(つづく)

日本遺産候補、鋸山の山頂付近から。ただいま山と歴史案内のガイド修行中。。。

日本遺産候補、鋸山の山頂付近から。ただいま山と歴史案内のガイド修行中。。。

【追伸】

だんだんいまに近づいて来て、書くのにポキポキ骨が折れます今日この頃。お読みくださり、ありがとうございます。どなたでも、どうぞご登録ください。私には登録者のお名前はわからない仕組みです。

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